サイレントマジョリティの大罪

20/12/12

良識ある慎み深い人々は黙々と日常を消化している事が殆どかと思う。近年はSNSなどで、自身と無関係な事物にストレスの捌け口を求めている気の毒な人種が目に付く様にも観察されるが、声が大きく時間を持て余している為に目立つというだけであって、割合としては少数ではなかろうか。

 

基本的に私も一個人としては、不特定多数に向け共用サーバの容量を使ってまでも声を大にして言いたい事など特にない。仕事上の必要性から発信を行っているに過ぎず、同じ様な感覚の方も多いと思われる。

 

さて、武漢風邪である。
真偽不明の情報が流布される事は珍しくないが、本件に関しては科学的素養の欠如がもたらす被害の大きさに暗澹たる気持ちでおられる方も多かろう。もはや空気との戦いといった様相を呈している。

 

以前、宴席で経産省のお役人へ我が国の基礎研究費があまりにお粗末である点を嘆いた所、我が国は応用に特化すべきとの返答を受けた事がある。好意的に解釈すれば井深大氏の実用化技術に関するご考察に活路を見出している様に思えるものの、基礎あっての応用である事は論をまたない上、物事には限度というものがあり、こうした考えに立脚した政策の数々が国力を削いできたという事実に妙な実感を得たものだ。科学技術の軽視は技術者の減少ひいては子どもの学力低下を引き起こし、見事に今次の災禍の様な状況に結実している。

 

今また根拠や相関関係も示さず、自称専門家による印象のみで経済を停滞させる動きに向かおうとしているが、根本的に我が国の良識ある人々は若干お利口さんに過ぎるのではなかろうかという気がしている。その多くがサイレントマジョリティであろう事から、適切な要素を欠いたまま誤った世論が形成され、大多数にとってはデメリットしかない結論を出させてしまっているのではないだろうか。

 

慎み深さは日本人の長所だが、勇気もまたかつての日本人が誇っていた美徳であり、戦後レジームにより失われつつある特徴の中でも特に重要な気質であると言える。声を上げるべき時にはそうすべきであり、信念なき沈黙が作り出した状況に、我々は現在進行形で被害を被っている筈だ。

 

取り立てて騒がずとも、いつかは正しい方向に修正されると静観していた結果、特定アジアにより捏造された屈辱的な日本史が世界中に拡散してしまった。学問的にも実証的にも明らかに誤った消費税増税や復興増税を許容し、事実に基づかない空想を根拠としたアイヌ新法を成立させてしまい、レジ袋有料化に至っては実行が無意味な苦役であるばかりか小役人ごときが法的根拠なしに罰則を科す事まで許してしまった。直近では再び環境規制についての動きがあるが、富と国際競争力を著しく低下させ30年間を失った過去を忘れたとでも言うのだろうか。

 

その他にも虚飾の第三次補正予算など枚挙に暇がないが、これらの自虐行為を引き起こしている原因の一つとして、沈黙イコール承認であるとの免罪符を与えてしまったサイレントマジョリティの責任を否定する事は難しい様に思う。誠に遺憾である。

 

十七条憲法は「和を以て貴としと為し」というフレーズのみ引用される事が多いが、「上和らぎ、下睦びて事を論ふに諧ひぬるときは、すなわち事理自ら通ふ。何事か成らざらむ」と続いており、闊達な議論を推奨している。和は迎合からは生まれないのだ。野党の様に揚げ足取りが議論であると勘違いされては困るが、黙して空気を読んでいては道理の通った世の中にはならない事を、我々は遙か昔から知っていた。今後これまでと同じ轍を踏まない為に、より多くの人が和気藹々と議論を尽くせば出来ない事などないと信じて声を上げる勇気を持つ事を願っている。