本質的な議論をさせないための誘導

21/11/15

近年の我が国は、枝葉末節を重要ポイントかのように飾り立て、人々の目を本質から逸らす戦法にノリノリな感が否めません。これを悲しく思っている人は多いのではないでしょうか。

 

「みんなちがって、みんないい」

 

このワンフレーズのみが単独で使われることの多い、金子みすゞさんの有名な童謡ですが、最も日本人の素晴らしさを表しているのは、この一行前だと思うのです。

 

「鈴と、小鳥と、それから私、」

 

鈴という"モノ"、小鳥という"動物"、私という"人間"を同列に扱っています。

 

加賀千代女さんの「朝顔に釣瓶とられてもらひ水」も同様の構図ですね。

 

このような文化を持つ我々日本人に向かって、昨今ポリコレを隠れ蓑に特定のイデオロギーを押しつけようとする輩が、やれ多様性だ男女平等だとか言ってきますが、「誰にものを言っておるのか」と。類例では持続可能な社会とやらもありますね。

 

こうした見え透いた手にひっかかるのは一部とはいえ、"嘘も100回繰り返せば〜"を国家として実践している国がごく近くに存在し、一部の情報戦は取り返しのつかない状況になっている事を思えば蟻の一穴に注意を払うべしと思わせられます。

 

私の尊敬する"国際派日本人"である伊勢雅臣先生はこう仰いました。

 

『文化とは一人ひとりの生き方であり、真摯な努力によって継承されるものです。日本にいれば勝手に日本文化が身につく、というような甘いものではありません。』

 

何も矢鱈と日本文化を礼賛したいという事ではなく、物事の下地や背景を知らず表面的に捉えることで結局は良いように利益誘導されてしまうという現象の原因として、判断の土台たる文化資本形成の不足が挙げられるということを再認識していただけたらな嬉しいな、と思うのです。

 

もちろん一個人としても大切な事ですが、更に経営上の危険性を感じている次第でして、軽く考えていると経済安全保障のリテラシーという側面以上に企業価値へのダメージが深刻になると予想しています。

 

いわゆる「世界的な潮流」には当然ながらタネも仕掛けもある訳ですが、企業として文化資本の土台がない中で単に流行りに乗る形で便乗してしまうと…言うまでもありませんよね。

 

因みに今日の記事は少し前に都知事選の結果を眺めながら抱いた感想を思い出しつつ文字起こししたものです。いつも以上に抽象的な話だなぁ…。